The other side of the planet - 地球の裏側でおもうこと

生まれ育った日本を離れNYCで生活。日々の暮らしを通し、地球の裏側でおもうことを綴ったBLOG.

可能性を実感した瞬間

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生きていて最もExcitingな瞬間。

それは、自分が思ってもいなかった可能性を実感した瞬間かもしれません。

 

子供の頃から自分はできないと思っていたことが、実はまったくの思い込みであったとしたら。やり方を知らなかっただけで、実は自分や他の誰でもできることだとしたら。それを実感した瞬間、目の前が希望でいっぱいになりました。

 

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私は小さい頃から走るのが遅く、運動音痴でした。運動神経は生まれながらにもっているもので、鍛えるのは無理だと思い込んでいましたが、最近走ることを学びその楽しさを覚えました。

正しい体の使い方で、走ることが今まで思っていた走るという行為とはまったく別物のように思えました。無駄な体の動きがなく、体のどこにも痛みはなく、まるで自分が空気と同化したような感覚、体が軽くなり体を忘れる感覚、体から解放されるような自由な感覚がありました。

他の誰かより早く走る必要はありません。自分を酷使する必要もありません。

体を正しく使うことで、体の本来持っている能力を引き出し、享受する。人に与えられた可能性を最大限に引き伸ばす。そこにはワクワクと喜びがあります。

 

大人になってからバレェを習い始めたのですが、バレェで少し作り上げた筋肉や姿勢が走ることにも役に立ったようです。

バレェは子供の頃から始めるもので、大人になってから習うなんて恥ずかしいとおもっていたのですが、それを始めたきっかけやバレェから学んだこともまた別の機会にお話しさせていただければと思います。

 

以前(無意識に築された記憶)でも書きましたが、人は誰しも「自分はXXである、OOなタイプの人間である」と自分を定義づけながら生きていると思います。でもこの定義づけが自分の可能性をリミットしてしまっていることもあるのではないでしょうか?

それは小さい頃から周りから言われていたことかもしれません。無意識に自分の口癖になっていて、自分をレーベルしているかもしれません。やらない理由づけにしているかもしれません。気づかぬうちに自分で愛着すらをもってしまい、手放したくなくなっているかもしれません。

 

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でももしその自分のレーベルが気に入っていなかったら、本来自分が欲しいレーベルではなかったとしたら、そのレーベルを持ち続ける必要はありません。

人は本当に自分で気づいていない可能性をまだまだ秘めていると思います。

ブログを読んでいただいている皆さんにも、是非それを実感していただきたいです。

 

走ることの楽しさを、また一つ新たな可能性を教えてくれた友人でもある師に巡り会えたことに感謝です。

 

今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

 

 

 

 

自然からのリマインダー

少しご無沙汰してしまいました。

1週間休みをとって カリフォルニアの大自然の中で自分を浄化してきました。

 

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カリフォルニアについたその夜は大雪が降り最低気温は-10℃に近かったと思います。西海岸の森林部には東海岸にはない背の高いPine TreeやRedwoodが数多く、この背の高い木々とPine Treeの匂いを嗅ぐとカリフォルニアに帰ってきたと実感します。

 

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雪景色の中のハイキングは格別でした。

自然の匂いを感じ、鳥の声や風で木々がざわめく声を聞き、冷たく澄んだ空気と太陽の暖かさを肌で感じ、自分もそれらと一体になる感覚。それが、自然の美しさや暖かさをありのままに享受するということかもしれません。

そこには体にもマインドにも余分な力、テンションはなく、自分が解放されたようなある種の自由な感覚がありました。

 

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大自然の中で過ごした1週間、体もマインドも解放され不必要なことに無駄なエネルギーを使うこともなく、ただただ穏やかでシンプルに楽しく幸せな時を過ごすことができました。

自然との繋がりを体感することで、生きることにとって、自分の根源的な存在にとって何が本当に大切なのかリマインドされたような気がします。

この感覚を忘れず、毎日どう感じ、どう生きるか、意識的に自分のシステムを形成していくことが大切だと改めて実感しました。

 

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YOGAを初めたことで、感覚が研ぎ澄まされていき自分の呼吸であったり体内で何が起こっているのか敏感になってきているのを日々実感していますが、自然の中に身をおき自然の中で何が起こっているのか、地球上のライフ(生命)がどう暮らしているのか、そんなことにも自然と意識が向くようになりました。

 

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意識が高まり感覚が研ぎすまされたが故に気がつけることも多くあるのだと思います。

今日はこの辺りで。 

無意識に蓄積された記憶

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「私はXXである。」「わたしはOOなタイプの人間である。」

日々、私たちはいろいろな場面で自分の性格を説明したり自身をアイデンティファイしています。

また、周囲から「あなたはXXだよね。」と幾度となく言われているでのはないでしょうか?

社会生活を送るにあたって、多くの場面で自分がどういった人間であるか説明することや、周囲からも何気なくこういった自分という人間への評価やフィードバックをコンスタントに受けることが当たり前になっています。

 

意識をせず蓄積された自分とは何者かという情報、いわば記憶は、様々なレベルで私たちの中に刻み込まれており、その情報をもとに体レベル、感情レベルで”反応”を起こしています。また、それが故に自分という人間の可能性を知らず知らずのうちに制御してしまっているのではないでしょうか?

 

よくよく日々起こることを観察してみると、この私たちの中に刻み込まれた情報をもとに同じようなサイクルで起こっていることに気がつきます。全てが悪いことばかりではないかもしれませんが、その中には自分が望んでいない要素も含まれていることもあると思います。

 

YOGAにはこの自分で気づかないサイクルを断ち切るためのツールとされています。

この無意識に蓄積された情報にマインドをもって立ち向かおうとしても、マインドはいろいろなトリックをしかけてくるため、なかなか難しい。

 

でも、体は少なくとも正直です。YOGAは、体レベルで自分というシステムを変化させ、無意識に蓄積された記憶と私たちが身につけてしまって容易に治すことができない反応・習慣・思い込みから自分を解放するために何千年も前に開発されたテクノロジー。

 

今日もサドナに励みたいと思います。

一日一日のプラクティスが大きな目標につながるステッピングストーンです。

 

 今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

 

 

YOGAという言葉

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YOGAという言葉はサンスクリット語でUnionという意味。

Unionは日本語に訳すと、融合、結合といった意味があります。

YOGAは私たちの中にいわばハーモニーをもたらしてくれるツールです。

 

なんでもバラバラな状態だと平和でないし幸せでもないですね。

自分の心と体が一致しない、思考がバラバラの状態、思っている事とやっている事がバラバラな状態、YOGA はそういったバラバラな状態に調和をもたらしてくれるツールとして何千年も前にインドで発明されました。

 

現代では、YOGAはどちらかというとエクササイズ目的で行われていることも多いですが、もともとは輪廻転生からの解脱という究極の目的を達成するための修行法の一つであったそうです。

 

毎日のサドナを始めて3ヶ月経ちますが、確かに体、マインド、感情、エネルギーレベルでの変化を実感しています。

 

まず背骨が非常に柔らかくなり、痛みやいわゆるつっかえた感じがないのでまるで体(特に上半身)を感じない時もあります。体に痛みがないと、心も健やかになります。また体の位置が本来あるべき位置にもどり体の中のエネルギーがうまく循環するようになったのか、エネルギーのレベルも上がったと思います。

 

YOGAの世界、インド哲学知れば知るほどもっと知りたいと引き込まれていきます。

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今日もブログをご訪問いただきありがとうございます。

 

Beautiful day

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さっきアパートの外で近所の人と出くわしました。

"It's another beautiful day." - 「今日もいい日だね。」

ここ数日10月の終わりにしては暖かく過ごしやすかったからか、彼がそう話かけてきました。

 

「そうだね、でも明日は雨みたいだよ」と返したところ、

"Don't worry about tomorrow." - 「明日のことは心配しないで。」と笑顔で返答がありました。

 

確かに。

今日は今日、明日は明日。今から明日の天気の事を考えても始まりません。

今日は暖かくて気持ちの良い日、だけど明日は雨が降る。という思考回路が無意識に頭の中にあったようです。

今日のよい1日を、瞬間瞬間を楽しみながら生きる事が大切ですね。明日の雨のことを考えて今目の前にある良い1日を逃してしまうのはもったいない。

 

明日は明日生きるとして、今日はこのよい1日をBeaugiful dayを謳歌しようよとこの隣人に気付かせてもらった気がします。

 

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ちなみに、雨も別に悪くないですね。確かに外を歩けば濡れるし、少し不便に感じるかもしれません。でも、雨が降らなければ大地は干からびてしまいます。雨が降ることで汚染された空気がきれいになる事もあります。今カリフォルニア州で広がっている山火事も大雨がふれば自然によって消火される。

 

雨も適量であれば恵ですね。

よい週末を。

Stepping Stone

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日々、いろいろなことがおきます。

自分の思い通りにいかないこと、自分のコントロールの効かないこと、理不尽だと思うこと、ストレスを感じる状況、チャレンジングなこと。

誰しも人生をできるだけ思い通りにしたいと願っているのではないかと思います。

 

でも思い通りにならないことも含め、全てはStepping Stone。川の向こう岸にたどりつくための足がかり、前にすすんでいくためのいわばツールではないかと思います。

 

自分のコントロールの効かないことで起こってしまったことは、もはや腹をくくって乗り越えるしかありません。大切なのはどう乗り越えるか、ではないでしょうか。

 

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きっと道はあります。

きっといろいろな発見もあります。

きっと乗り越えた時に自分の血となり肉となることもあります。

きっと自身もつく。今まで自分の知らなかった領域にも精通し、次回同じ事が起こっても対応できるようになります。

 

きっと私たちには乗り越える、解決法を見つける能力があるはず。

きっと自分が気づいていない強さや可能性もあるはず。

 

失敗しても大丈夫。それでもまだ道はあります。

失敗からの学びも次へ繋がる Stepping Stoneなのではないかと思います。

 

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今日はこの辺りで。

 

 

 

Autumn in New York - Central Park

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すっかり秋めいてきたNew York。

今朝の気温は48フェレンハイト 。(セルシアスでは10度を少し下回るくらいアメリカは温度はフェレンハイトという単位を使います。慣れるまで時間かかった。)

冷たい空気を感じながら、朝日が登る7AMあたりからセントラルパークで2時間程度YOGAをしてきました。

 

鳥の声や風の音を聞いて、緑と土の匂いを嗅いで、朝日の暖かさを体で感じながら、まさに自然と一体となってSadhanaができました。自然の恩恵を受けて体の悪いものが浄化されエナジーが体に漲った気がします。

 

YOGAを通して意識が高まり感覚が研ぎ澄まされたからか、心が穏やかで静かな状態を保つことができるようになったからか、今まで気がつかなかったことに気づくようになりました。鳥の声、木々が風にざわめく音、土や緑の匂い、肌にふれる空気の温度や感触など、自然の様々なExpressionを五感を通して感じ、よりいっそう穏やかな気持ちになる、自分もこの地球の一部なんだと感じることができる瞬間でした。

 

木々の葉も少し黄色やオレンジ色に少し色づいています。

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リスも冬ごもりの支度に忙しそうでした。

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今回のパンデミックがなければ、肌寒い日曜日の朝に早起きをしてわざわざパークでYOGAをすることもなかったと思います。コロナでそれまで当たり前のようにしていた事を諦めなければいけないこともありましたが、逆に巡り合ったものもありました。

元の生活に戻るまでにはまだ少し時間がかかりそうですが、今だからできることをして人生楽しんでいこうと思います。

 

今日はこの辺りで。