本当の自分
また少しご無沙汰してしまいました。
NYは氷点下を下回る日が続き、とっても寒いです。
みなさんいかがお過ごしでしょうか?
前回、苦しみからの自由でズバリ苦しみから開放されるには、自分の本質を知ることだとインドの経典は説いているとお話ししました。
そこで、自分の本質って?本来の自分って何?
という疑問が沸いた方もいらっしゃったかもしれません。
今日はその点について書いていこうと思います。
インドの経典ウパニシャッドは、ずばり私たちの本質はアートマンであると言っています。
日本語では我と訳されたりしているようです。
アートマンは消えることもなければ生まれることもない、永遠にひろがる変わることのない存在であるとされています。
変わることのないアートマンに対して、常に変わり続けるもの、そしてやがていずれはなくなるもの(プラクルティなどとよばれたりします)の中に例えば私達のマインドや感情、体といったものがあげられます。思いや感情は生まれては消えていくものです。体もまた、誕生と死があり永遠に続くものではありません。
私たちは自分のマインドや体があたかも自分かのように思いこんでしまって、体が老いれば悲しんだりするものです。
経典はこの自分でないものを自分と思い込む、本当の自分を知らないというIgnorance(無知)が私たちの苦しみの根源だと説いているのです。
もし本来の自分は、この終わることがない永遠に続くアートマンという存在だと知っていれば、悲しむことも恐れることも何もないと気づくはずです。
論理的ではありますが、そんな事言われても、「あ、そうか、そうだよね」すぐに理解ができるわけではありませんよね。
では、どうしたらその本来の自分を理解できるのか?
この自分がアートマンであるという真実はもともと私たち自身の中にあると言われます。
それが理解できないのは、自分の中に曇りがある状態だから。その曇りを取り除くことで外の世界ではなく、自分自身の中に真実を見出せる、経典はそんな風に言っています。
そのため、Yogaや瞑想では自分自身の内側に意識を向けていくのです。
目を閉じ、外界からの刺激を最小限にして、静かな心で自身の中にある知恵、真実を観察する。Yogaや瞑想は、その真実を突き止め、苦しみから解放されるためのツールなのです。
私たちの中に存在する、真実は非常に捉えがたく、心の静けさなしにそこにたどり着くことはできません。
少し、インド哲学深くいきすぎてしまったでしょうか。
また別のいろんな角度からお話ししていけたらと思います。
今日はこの辺りで。