The other side of the planet - 地球の裏側でおもうこと

生まれ育った日本を離れNYCで生活。日々の暮らしを通し、地球の裏側でおもうことを綴ったBLOG.

Become less "me".

ふと気がつくと、「自分って」「自分とは」「自分だから」

まるで呪いのように、「自分」にがんじがらめになっていることはないでしょうか?

 

f:id:MIA_NYC:20210301040812j:plain

社会生活をする上で、「自分ってXXだ」と自分を説明したりすることが求められることも少なくないかもしれません。「自分はこういう人間だからこう生きた方が幸せだ」なんて自己分析することは誰にでもあるのではないでしょうか。

そういえば就職活動している時も散々「自己分析」っていう言葉を耳にした記憶があります。

 

でもこの自分で理解している、もしくは周囲の人のフィードバックによる自分像、本当の自分でしょうか?

 

一旦「自分はXXです」と宣言してしまうと、後に引けなくなってしまうこともあるかもしれません?一貫性を大切にして自分の言ったことに責任を持つ、いわば自己分析を肯定するために頑張って邁進している人もいるのではないでしょうか?

 

f:id:MIA_NYC:20210301040912j:plain

自分が一生懸命考えて、生きてきて、その結果の自分像ですから、それは誰にとっても多かれ少なかれ大切かもしれません。

 

でもふと違和感を感じることもあるのではないでしょうか?

 

「自分」がいると「自分以外」があって当然ですね。いわば自分とそれ以外という分断が生じます。

人間関係での悩みはほとんどの人に存在するのではないかと思いますが、この「自分」と「自分以外の人やもの」この思考の構造から生まれているのではないでしょうか?

「他人と比べて自分はXXだ」「自分に対してあの人はOOだ」等等・・

仕事やRelationship、日々の生活の中でそんな考えが頭の中をぐるぐるすることも多いのではないでしょうか?

 

f:id:MIA_NYC:20210110112831j:plain

Yogaや瞑想を毎日初めて変わったことの一つに、この「自分」というセンスが薄れてきた、正確には自分だと思っていた自分が社会生活の中で生きていくにあたって蓄積されてきたいわばただのイメージであり、そのイメージが揺るぐことのない真実ではないと理解しだした、という点があります。

 

これがなくなってきたと同時に不思議と頭の中をぐるぐるする悩みが少なくなったように思います。

 

 

 

f:id:MIA_NYC:20210301041824j:plain

バレェをしていても体感したことですが、この「自分」というセンスから解放されている時こそ、余計な邪念も入らずまるで自分の中の何かが全てを知っているかのように、自然とPirouetteができたりするものです。

ヨガやRunningもそうです。

 

f:id:MIA_NYC:20210301041949j:plain

自分だと思いこんでいる何かから解放された状態。

そこにはもはや思考も沸いて来ず、純粋にただただ踊る、瞑想する、走る、そしてそれを楽しんでいる、そんな状態です。

 

少しわかりずらかったでしょうか。

伝えること、文章を書くことって難しいですね。

 

もっとわかりやすく伝えられるよう日々サドナと書くことも続けていきたいと思います!

 

今日はこの辺りで。