苦しみからの自由
めんどくさいな、
やりたくないな、
苦手だな、
毎日の生活の中で誰しもそんなふうに思うことはあるかと思います。
逆に、これがしたい、
どうしてもこれが欲しい、
これがないと満たされない、幸せになれない、
そんなふうに思うこともあるのではないでしょうか。
インドの経典バガヴァッド・ギーターでは、したい・したくない、好き・嫌いといった思いとそこから生じる欲望が苦しみの源であり、その欲望を手中におさめることで、自由(サンスクリット語でMokshaやMuktiと呼ばれます)を手に入れられると説いています。
一見、自分のしたいことをする、欲しいものを手に入れる、ということが自由のように感じますが、欲しいものを手にして満足しても、少し時が経つと何となくまた満たされなくなり、また別のものが欲っしたり、そのような経験は誰しもあるのではないでしょうか?私たち人間の欲望は終わりがありません。
逆に欲望のままに欲しいものを次々と手に入れも、根源的な乾きが満たされていなければ、欲しいものを手にすることは炎に薪をくべるかのように、欲望という炎はどんどんどんどん大きくなります。
欲望は満たされなければ、「何で手に入らないんだ!」と悲しみや怒りが湧き、それを妨げている何かや誰かが憎くて憎くて仕方なくなるものです。憎しみや怒りは、自分というシステムの中で起こっているいわば化学反応です。憎しみや怒りで傷つくのは、その感情を抱えている自分自身です。これが欲望が苦しみに変わるからくりのようです。
では、一体どうすればこの欲望をコントロールできるのでしょうか?意思の力で押さえ込もうとしても、湧いてきてしまうものです。
インドの哲学ではこの解決法として、Yogaや瞑想を通して自分の本質を知る、自分の本質こそが幸せの根源であるということを知ることによって、この欲望から自由になると言っています。自分の本質が幸せの源であると知った時、人は外の世界に満ち足りない何かを求めることがなくなるのです。
何かをしたいという思い自体は悪いものではありませんが、それを苦しみに変えないよう自分の手中に収めることが大切です。欲望にコントロールされないのが賢者である、欲望の奴隷になるのではなく、欲望の王となれ、とインドの経典バガヴァッド・ギーターは説いています。
まだまだ、賢者のレベルには達していませんが、今日も自由を目指してサドナ(Sadhana - サドナ-)に励もうと思います。