可能性を実感した瞬間
生きていて最もExcitingな瞬間。
それは、自分が思ってもいなかった可能性を実感した瞬間かもしれません。
子供の頃から自分はできないと思っていたことが、実はまったくの思い込みであったとしたら。やり方を知らなかっただけで、実は自分や他の誰でもできることだとしたら。それを実感した瞬間、目の前が希望でいっぱいになりました。
私は小さい頃から走るのが遅く、運動音痴でした。運動神経は生まれながらにもっているもので、鍛えるのは無理だと思い込んでいましたが、最近走ることを学びその楽しさを覚えました。
正しい体の使い方で、走ることが今まで思っていた走るという行為とはまったく別物のように思えました。無駄な体の動きがなく、体のどこにも痛みはなく、まるで自分が空気と同化したような感覚、体が軽くなり体を忘れる感覚、体から解放されるような自由な感覚がありました。
他の誰かより早く走る必要はありません。自分を酷使する必要もありません。
体を正しく使うことで、体の本来持っている能力を引き出し、享受する。人に与えられた可能性を最大限に引き伸ばす。そこにはワクワクと喜びがあります。
大人になってからバレェを習い始めたのですが、バレェで少し作り上げた筋肉や姿勢が走ることにも役に立ったようです。
バレェは子供の頃から始めるもので、大人になってから習うなんて恥ずかしいとおもっていたのですが、それを始めたきっかけやバレェから学んだこともまた別の機会にお話しさせていただければと思います。
以前(無意識に築された記憶)でも書きましたが、人は誰しも「自分はXXである、OOなタイプの人間である」と自分を定義づけながら生きていると思います。でもこの定義づけが自分の可能性をリミットしてしまっていることもあるのではないでしょうか?
それは小さい頃から周りから言われていたことかもしれません。無意識に自分の口癖になっていて、自分をレーベルしているかもしれません。やらない理由づけにしているかもしれません。気づかぬうちに自分で愛着すらをもってしまい、手放したくなくなっているかもしれません。
でももしその自分のレーベルが気に入っていなかったら、本来自分が欲しいレーベルではなかったとしたら、そのレーベルを持ち続ける必要はありません。
人は本当に自分で気づいていない可能性をまだまだ秘めていると思います。
ブログを読んでいただいている皆さんにも、是非それを実感していただきたいです。
走ることの楽しさを、また一つ新たな可能性を教えてくれた友人でもある師に巡り会えたことに感謝です。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。